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【山田町からAKB48さん達に3倍のありがとうを伝えよう運動の始まり】

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岩手県山田町は人口約16800人ほどの住民の方が住み、月型の入り江の山田湾を持つ
岩手県沿岸でも三陸リアスを代表する美しい町でした。

東日本大震災が起きた2011年3月11日、太平洋沿岸は大きな地震と津波の被害を受けました。

津波とその後に襲った大規模な火災によって、約730名(認定死亡者含む)の方々が犠牲となり、
家屋の倒壊数は3342棟を越え、町の被災率は半分を超える55.5%以上となりました。

その後、避難所は32箇所用意され、4000人を超える方々が避難生活を送り、
避難所は夏の終わりの8月31日に全てが無事に閉鎖されました。

現在は仮設住宅の団地は46団地程となり1940戸、約5000人の方々が
仮設住宅で厳しい生活を送っております。

厳しい先の見えない避難生活を送る中で、多くの方々から温かいのご支援や訪問がありました。

2011年の5月22日、春が訪れた山田町に子ども達の憧れの方々が訪問して下さいました。

AKB48大島優子さん、篠田麻里子さん、柏木由紀さん、指原莉乃さん、
SKE48松井玲奈さん、NMB48山本彩さんが訪問してくださり、
山田町の子ども達やみなさんたちを勇気付けてくださいました。

昨年の5月といえば、避難所の生活が継続されており、様々な問題、
ストレスなども多々あった事を私たちは覚えております。

毎日、避難所への物資配給や学校運営の支援で向かっていた
私たちは、当時山田南小学校避難所の担当でもありました。

当時、私たちは多数の避難所と学校支援の担当になっており、
支援物資の割り振りや、子ども達の生活改善や学校運営の補助をしているときでした。

とりわけ大きい問題だったのが、子ども達のストレスの問題でした。
大人達が日々の問題に取り組む中で、子ども達は言いたい事も、
やりたい事も言えず、ふさぎこんで好きな事もできない状況が続きました。

大人たちは状況を飲み込みながら、子ども達を守る事に必死で、
なかなかに子ども達の相手もできず、また変化も無い日々だったので
ただただ、毎日を生き抜く事で精一杯だった事を覚えております。

学校の先生方の涙、親御さん達の苦悩、子どもたちのストレス、
恐らく一生に生きて見るぶんよりも、多くの苦悩と涙を私たちは見てきました。

物資は全国の皆様の優しいご支援で何とか事なきを得ておりましたが、
どうしても子ども達を元気づける【夢や娯楽の楽しさ】と言うものの
答えが見つからず、毎日どうしたら良いかを悩んでおりました。

大人たちも子ども達を喜ばせるために、一生懸命に努力しました。
しかし、僅かな環境の中で一時的な娯楽にしかなり得ず、
子ども達もその状況に慣れていってしまい、やがて子ども達と
大人たちの間に【夢や娯楽】に対しての価値観のズレが生じてきました。

そんな中で去年の5月22日にAKB48の皆さんが山田町の山田高校に訪問して、
子ども達や現地の皆さんを一生懸命に元気付けてくださいました。

そのときに私たちは子ども達が見たことも無い笑顔で喜ぶのを見ました。

避難所の大人たちも、支援をする私たちもそのときに

「こんな状況だからこそ、子ども達には最高のモノを与えなければいけない」

と、改めて強く教えられたことを覚えております。

そこから、「音楽や娯楽は不謹慎」という考えは無くなり、
音楽も娯楽も、絵本もおもちゃも、子ども達を優先に
昔の通りに楽しんでもらう様になっていきました。

それから三ヶ月たった8月31日、山田町の各避難所は閉鎖となり、
避難していた皆さんは仮設住宅の暮らしに移っていきました。

そして2011年11月の後半、支援を行っているマブリットキバと
私たちは現地の子ども達から、ある頼み事をされました。

それは

「自分達を勇気付けてくれた、AKB48さんにお礼を伝えたい」

というものでした。

私たちは驚きました。大人が指示した訳ではなく、子ども達自身が自ら
「お礼を伝えたいので、協力して欲しい」という事は大変に珍しい事でした。

子ども達の伝えたい事は

「危険なところに来てくれたAKB48さんにお礼を伝えたい」

「大好きでいつも元気をもらっているから、お礼が言いたい」

「山田町に来てくれて、握手してもらった事が一番楽しかった、
優子さん達に、ありがとうございますと伝えたい」


「他の被害があるところも応援してくれているので、
私たちから応援してくれているAKB48さんをはげましたい」


と、様々でしたがとても真剣なものでした。

AKB48さんが来てくれて、本当にうれしかった。今でももらった服を着ているんだよ、
握手した事を覚えているかなあ、今でもあちこちに支援でいっているんだよね、
AKB48さんも大変だとと思うから、今度は私たちが励ましたいなあ」

「こういうことを大人に頼めない。大人や先生たちは今、町の事で大変だから、
マブリットキバなら子どもの味方だし、助けてくれるから頼めると思って、
私たち子どもで、手紙と感謝状を書くから、AKB48さんに届けて欲しいんです」

私たちにとって、子ども達の気持ちはとても崇高で誇り高い願いに思えてなりませんでした。
子ども達は5月22日に来てくれたAKB48さんの事を、一日たりとも忘れてはいなかったのです。

私たちはマブリットキバに相談してみるからと、その場で子ども達を納得させました。

マブリットキバにそれを伝えると、相当に悩んでしまいました。

マブリットキバは津波で誰も守れなかった事を自分で攻めて、ご当地ヒーローを辞めていました。
それ以来「自分は被災地で働くただの道具だ」と言い張り、かたくなに表に出る事を拒否してきました。

「余計な時間があるなら、現地で黙々と働いたほうが良い。それがオレの仕事なんだ」

「オレは震災前、散々に好き勝手にステージを行い、結局震災では誰も守れなかった、
なので、裏切ってしまうかも知れない子ども達との約束をするなんて事は出来ない。
約束を守れずに、また子ども達を悲しませるのは嫌なんだ。」


AKB48さんはオレもファンだし、子ども達も大好きだから迷惑をかけることが怖いんだ、
今、きっと彼女たちは忙しいし、声を伝えるにも厳格なルールを守らなくてはいけない。
ファンレターならともかく、子ども達の声を直接に届けるなんて無理だ」


マブリットキバはAKB48さんの大ファンでもあり、山田町の子ども達が大好きでした。
だからこそ、できない約束をして両方に迷惑をかけることは絶対にできない、
子ども達には事情を説明して断ろうという事を私たちスタッフに強く言いました。

その後、マブリットキバと私たちは子ども達に直接に会って謝って、
今回の約束だけはできないと伝えるために山田町へと向かいました。

子ども達は集まって、大変に喜んでいました。マブリットキバが子ども達と話をはじめました。

AKB48さんにお礼を伝えたいと言う事、未だに被災地への支援を続けてくれるAKB48さんに
励ましと応援の言葉を伝えたい事、山田町に来てくれた事を今でも夢のように思ってくれていること。

マブリットキバが黙って聞き、子ども達は自らの気持ちを笑顔で打ち明けてくれました。

大人たちは町の再建で大変なので、子ども達だけで感謝状と手紙を用意すること。
学校の友達に呼びかければ、AKB48さんに伝えたい子どもがいっぱいいること。

そしてなによりも

AKB48さんが大好きだから、ありがとう頑張ってください自分たちも応援しているよ、と伝えたいと言う事。

それを聞いてマブリットキバはその場で考えを改め、子ども達の願いを聞き入れてくれました。

子ども達は大喜びしました。そしてマブリットキバと約束をしました。

【大人の力を借りずに、子ども達だけで手紙と感謝状を書いて集める事】

手紙を集めるには学校の先生や親御さんの許可が要るから、
それはマブリットキバが大人の許可をもらって、子ども達の運動を応援する事。

子ども達は約束をしてもらった事で大変に喜んで、必ず子ども達でやり遂げると誓いました。
マブリットキバも子ども達と約束は必ず守ると約束をしました。

私たちはマブリットキバに無茶な約束をしたのではないかと心配している事を伝えると、

「オレは子ども達と約束する事が、怖かった。できれば逃げてしまいたかったし、ごまかしたかった。
でも子ども達はお世話になった大好きなAKB48さんを信じて、
応援したいと誰かの為に真剣に向き合っている、
オレは密かにAKB48さんを好きで応援していたかった、
表に出て迷惑になることはファンとしてしたくなかった。
でも、子ども達を見て愛する者を信じて向かい合い、それを伝える事が無理とわかっていても、
今度だけはオレは逃げてはいけないとわかった」


と、覚悟を持って話してくれました。私たちスタッフにはそれがどういうことかわかりました。
子どもとの約束を守れなかったら、マブリットキバは潔く去るのだろうとわかったからです。

そこからはマブリットキバと私たちは学校の先生方や親御さんに事情を説明して回りました。
全部の先生方が手紙を学校内で子ども達が集める事を快く見守って応援してくれました。
子ども達も連絡を取り合って、手紙と感謝状を書くことをはじめました。

学校の先生方や親御さんは私たちに言ってくださいました

「大人の私たちにもわかります。お世話になったAKB48さんにお礼を言って、
繋がっていたんだと信じたいのだと思います。一部の大人の人には理解ができないかもしれない。
でも私たちにはわかります。子ども達が自分で動いて、誰かに感謝する事をとめる理由はありません。
それに山田町の子ども達が言うことならば、私たち大人にとっても気持ちは同じです、
子ども達に元気と笑顔を与えてくれている、AKB48さんもがんばっているんですから、
その活動に元気と笑顔をありがとうございます!と子ども達と同じに伝えたいですよね」

マブリットキバは校長先生に約束が守れなかったらと、相談する事もありました。
しかし、校長先生は相談する前に笑顔でマブリットキバに話してくれました。

「大丈夫です。震災から今まで、マブリットキバさんは子ども達のために、
学校の私たちのために死力を尽くしてきてくれました。キバさんなら、
きっとできます。大好きな子ども達もAKB48さんも信じましょう」

親御さんや先生方から快く許可を頂いて、運動は広がっていきました。
その中で子ども達は伝えたい事と、目標を決めました。

被災地支援を続けるAKB48さんとSKE48さん、NMB48さん、3つのチームを合わせて144人。
その気持ちと応援にに感謝をこめて

【山田町からAKB48さん達に3倍のありがとうを伝えよう】

という運動になり、子ども達は感謝状も自分達で作りました。
そして子ども達は大人に頼らずに見事にその目標を達成しました。

感謝の手紙は144通が目標でしたが、それを上回る多くの手紙が集まりました。
そして感謝状も用意され、それを最後にマブリットキバと私たちが手紙を受けとりました。

全ての手紙を受け取って山田町を後にするときに一本の電話が鳴りました。

中学の先生からで、一人の生徒が手紙を入れ忘れ困っているとの事だったので、
もう一度山田町に戻り、それを受け取りました。

大好きな事を伝えたかったので、どうか手紙をよろしくお願いしますと
学校の先生と、生徒さんに深く頭を下げて送り出されました。

最後の手紙を私たちが受け取ったのは山田町で雪がちらつく12月の半ばでした。

そこからがマブリットキバはいかに約束を守ろうと努力をし、手紙と声を伝えようと
大好きな人達のために悩み苦労したのかをスタッフとして身近に見てまいりました。

この運動は多くの方々に温かく支えられました、ここで改めて山田町にて
ご協力いただいた方々と子ども達に感謝をするばかりです。

山田北小学校のみなさん、織笠小学校の皆さん、山田南小学校のみなさん、
山田中学校のみなさん、それを見守ってくださった教職員の方々と
山田町役場の方々、親御さんのみなさんに心から感謝を致します。

こうして山田町の皆さんの「ありがとう!」の気持ちを込めた子ども達の
「AKB48さんへの手紙と感謝状」は無事に用意をすることが出来たのです。

山田町子ども支援担当 山田町記録班
NPOいわて・郷プロジェクト 代表 畠山 吹雪より

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